エッセイ・雑記
小学校時代、2年間だけシンガポールに住んでいた時のこと。さらっと読める話です。お題企画「雨の日のちょっといい話」へ参加しました。
noteはじめました。エッセイ、詩、コラム、その他の散文など創作風のもの。体調以外のことを、短めに書いています。よかったら見てやってください。noteを使用してみた感想も簡単にまとめました。
「兎角に人の世は住みにくい。」なんて気分の時もありますが…。夏目漱石の『草枕』と伊坂幸太郎の『火星に住むつもりかい?』をふと思い出して書いてみたエッセイです。
毎日がつらい。しんどくてたまらない。頭はどこかぼんやりとし、時間や日々の境目があいまいになる。花も、鳥も、雲も目に映らない。大好きな音楽すら、ただのノイズに聞こえる。 そんな時の気持ちはまるで、雪山で、たったひとりぼっちで、遭難しているよう…
矢川冬さんが書かれた『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』という本を読み終えた。この本は、性虐待の当事者だけでなく、もっと広い層に読まれてほしい。そう思った理由を3つの観点で書いてみる。
誰にでもある“言いまつがい”こと、言い間違い。私は言葉ネタに弱いタイプなので、こういうのも結構好きです。ただ、長い間よく覚えているのは、書き間違いの方が多い気がします。なぜか忘れられない“書きまつがい”。今日はそんな他愛もない話です。
私は一生、母親になることはないだろう。もしこの先、結婚する機会があったとしても、子どもを持つつもりはない。相手も理解はしてくれている。年齢のせいではない。あえて言うなら、精神的な成長が、生物学的な加齢のスピードに追いつかなかった。
新卒くらいの年齢だった頃の話です。居酒屋で、全く知らないおじさんに「手相を見てあげる」と話しかけられたことがありました。普通の40〜50代のサラリーマン風でした。
私は中3の春に、不登校になりました。約20年前のことです。 いじめに遭っていた訳ではありません。友人もいました。「これといった原因はない」と思っていました。当時は。 大人になってから考えてみると、いくつか思い当たることがあるような気がします。
小学生の頃から、かれこれ25年近く新興住宅地に住んでいる。公園が多い街だから、今も昔もファミリー層に人気がある。週末になれば、買い出しに来たミニバンやSUVが行列を作り、駅前は渋滞する。身綺麗なママと子ども。朝と夕方は、犬を連れて散歩する人々が…
車の座席でメイクをする女子高生と、それをチラ見するアラフォーおばちゃん(私)。現代日本では実にありふれた風景なわけですが、今日のそれは何かが違う。 しかし、電車の中で化粧するってやっぱりどうなんでしょうね。と言いたいわけでは、全然ありません…
先日、ちょっとしたVRを体験させてもらう機会がありました。楽しいジェットコースターの疑似体験をした後、ふと思いました。「VRを精神疾患の理解に役立てられないのかな?」と。VRやAIと精神疾患について、あれこれ勝手に空想してみました。
ちょうどブログを始めたばかりの私に、タイムリーなお題のキャンペーンがあったので、応募してみました。 「自立する」という言葉は「自由を掴むための行動を起こす」と捉えることもできる。今の私にとっての自立は、“過去から自由になった心で、少しずつ未…