生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

夏目漱石か伊坂幸太郎か、それが問題だ

*この記事は、歯磨きくらいの時間で読めそうです / 約1,700字*

こんなタイトルだけど、どの作家が好きか、みたいな話ではありません。

 

このところ、歴代の職場の元同僚と会う機会が多く、多くの人とお互いの近況報告をしました。相手は特に病気ではないけれど、私の体調のことはある程度知ってくれているという関係性です。

みんな色々大変だけど、元気にやっているようでした。離職率の高い職場でも、上手に現実と折り合いをつけて頑張っている、とか。結婚してママになったからこれから産休を取るんだ、とか。産休だったけど保育園が決まって復職するんだ、とか。そんな話を聞きました。

 

もちろん、誰もマウントなんて取ってきません。それどころか優しい人が多いから、社会復帰できていない私を慰めてくれたりもしました。「組織のおじさんを中心に回ってる、今の世の中の方がおかしいんだよー」なんて言って。

だから嫌な出来事は1つもなかった。むしろ、楽しい話をたくさんして大笑いして帰ってきたはずなのに、外出の疲労も重なって、何だか後からぼんやりと落ち込んでいました。

 

できるだけ、他人と自分を比べないようにしているつもり。なのですが。

仕事もしてないし、なーんにも持っていない自分の人生があまりに稚拙で情けなく感じられて、もはや周回遅れどころじゃないよなぁと、何とも言えない虚しさを覚えてしまいました。

 

ちなみに、知人の中には就労移行支援(障害福祉施設)で働いている人もいるので、「私、通った方がいいのかな?」という相談もしてみたのですが、「なんか久世さんは違うような気がする」と言われました。やっぱりか…。就労移行の仕組みは理解していて、過去に見学に行ったこともあるのですが、私も何か違うような気はしているのです。施設の良し悪しではなく、相性の問題として。

 

道筋が、見えてこない。 

 

次第に気分が厭世的になると共に、そんな自分自身が何よりも嫌になるモードに入っていきました。下記のOK牧場で言うなら、「私も他人もNOT OK」の全否定な領域に近づいていくわけです。

www.kuzejune.com

 

そんな気持ちでいてもロクなことがないので、早く抜け出さなければ……と思いながらも、ぐるぐると悩み続けていました。しまいには、『草枕』の例の一節まで浮かんできます。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。*1

夏目漱石『草枕』(新潮文庫、2005年)

情に棹さしてガンガン流されたり、意地を通して窮屈な思いをするのも、私の日常では本当によくあることです。あまりに自分にピッタリな表現で思わず笑ってしまいました。それと同時に、いつの時代も世の中は住みにくいものなのよね、と改めて思ったりもして。

 

モヤモヤするばかりで考えが上手くまとまらず、停滞する日々。次にふと思い出したのは、伊坂幸太郎の『火星に住むつもりかい?』でした。

この小説は、監視や拷問がはびこるディストピアな日本(仙台)が舞台。今の世の中が生きにくいなんて言ったらバチが当たりそうなくらいダークな世界観なんだけど、ストーリーもさることながら、私にとっては「火星に住むつもりかい?」というタイトルが印象的です。

その意味は、ある登場人物のセリフから読み取れます。

どう考えようと、どれだけ不満があろうと、今のこの社会を生きていくしかないよね。(中略)気に入らないなら、国を出ればいい。ただ、どの国もこの社会の延長線上にある。(中略)この国より幸せだと言えるのかな。それとも、いっそのこと火星にでも住むつもり?

伊坂幸太郎『火星に住むつもりかい?』(光文社文庫、2018年)

 

今のところ、私は火星に引っ越す予定はありません。それに、留まるにしても移住するにしても、今の私には力が足りない。世の中の変化をボケっと待ってても仕方がないので、また毎日コツコツと、自分自身に何らかの力を付けていくのが現実的な方法なんだと思います。

そして、また色々なことが嫌になってワケがわからなくなったら、自分自身に聞いてみるつもりです。

 

じゃあ、どうするの?火星に住むつもりかい?って。 

  

 

*1:一応付け足しておくと、本当はきっとこの続きの方が大切なんだと思います。「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」などなど。