生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』を読んで

唐突だけど、矢川冬さん (id:yagawafuyu)が書かれた『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』という本を読み終えたので、その話を書きたいと思う。

私は性虐待の当事者ではなく、いわゆるフェミニストでもない。ジェンダー意識に関しては、私はおそらくマジョリティであり、あえてその視点から書く。

自分に縁のないテーマだと思った方も、ちょっと読んでみて頂けたら嬉しい。長いので、この記事自体は斜め読みしてもらって、ぜひ本を知って頂ければ。

 

『もう、沈黙はしない』を当事者以外にも勧める理由

この本では、実父の性的虐待からサバイブされてきた矢川冬さんの人生が克明に綴られている。矢川さんは現在60代で、児童虐待、性虐待の概念が浸透していない世の中を、本当に独力で生き抜いて来られた方である。

ぜひご本人のブログから本を見て頂きたいので、ここにAmazonのリンクは貼らない。理由は後述する。

yagawafuyu.hatenablog.com

渾身の力を振り絞って書かれたこの本には、矢川冬さんが感じ続けた痛みと怒りがほとばしっている。そして、怒りを不屈の精神に変えて、自力で道を切り拓いてこられたその姿は、人の心を強く打つ。

当然、感情を強く揺さぶられる本なのだが、同時にこれは、理不尽な暴力に対しての理性と知性による闘いだとも感じた。その強力な武器は、ご本人が自らの力で手に入れてきたものである。

 

この本は、性虐待の当事者だけでなく、もっと広い層に読まれてほしい。そう思った理由を3つの観点で書いてみる。

性虐待・性犯罪について

性的に虐げられることは、人間の本能や根源に関わる何かを傷つけられること。読後に考えたのはそんなことだった。だから、自尊心についた傷は目に見えるより遥かに深く、人生への影響も大きい。被害に遭った人が回復に長い時間を要するのは当然で、いま生き延びている姿そのものが、とてつもない強さの証明に感じた。

被害者でも加害者でもない“他人”がこういった本を読むことで、二次被害を減らす。それが一番身近なアクションに思えた。「二次被害」というのは、例えば被害者が社会で責められたり、自らを恥じてしまうような場面に陥ることであり、本の中でもその様子は度々描かれている。

二次被害は、得てして知識と想像力の不足から発生する。だからこそ、この本は女性だけでなく男性にも読んでもらいたい。奥さんや娘さんがいる人。彼女がいる人も、いない人も。

理想論かもしれないけれど、傷ついた人が正当で適切な対処を受けられる世の中になれば、良識ある男性が変に窮屈な思いをしないで済むようになるとも思うのだ。

(話が逸れるけど、もしLGBTQの人であれば、自らの性との葛藤という意味合いでもこの本が心に響くかもしれない。)

 

そういう私自身も、読んでいる途中で、ある意味性犯罪への感覚が麻痺していたと気付かされた。

数ヶ月前、仕事帰りに駅のホームで痴漢に遭ったのだが、疲れていたし面倒だったので何もせずに帰宅したのだ。駅員に訴えようかと思ったけど、犯人に顔を覚えられたりしても嫌だった。帰り道にふと「私が何もしなかったことで、あの後に他の人も体を触られたかもしれない」と気づいたけれど、もう遅かった。

この本を読んで、その時のことを思い出した。他にも痴漢に遭った経験は何度かあるが、捕まえたことはない。彼らは素早くて陰湿だけど、次は反撃する努力をしたいと思った。何というか、そういうことから始めたいと思った。

家族・親子について

家族や親子のあり方は、『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』のもう1つの大きなテーマである。血縁だけで、家族は家族たり得るのか。

私があまり冷静にこの本を読み進められなかった一番の理由は、ここにある。実際のところ「同じ体験をしてないのに、なぜかこの感覚は知っている。どうも他人事と思えない」と、毎回大泣きしながら読んでいた。泣きながら本を閉じてそのまま寝るので、翌朝はいつもプチお岩さん状態になっていた。

虐待を受けたとまでは思っていなくても、毒親、AC(アダルトチルドレン)などのワードに反応してしまう人は、感じるところが色々あると思う。

印象的なエピソードを挙げるとキリがないので、フレーズとして特にギクッとしたものを少し抜粋させていただく。

喜ぶと必ず罰がおりる。(p.15)

心的エネルギーを使い尽くす。ただ生きているだけで精いっぱいだった。(p.52)

私は突然、「私は悪くない!」と電話口で叫んでいました。自分でも驚きました。(p.60)

医療、法律…専門家の世界

もう1つ興味深いのは、矢川冬さんの闘いの中で、医療や司法の世界の事情が色々と垣間見えてくる点だ。時代の潮流があり、専門家の中にも様々な人が存在する。人を傷つける権威者もいれば、真摯なプロもいる。

特に、戸籍名変更裁判の一連の記録は、法的な観点から見ても非常に興味深い内容ではないか。私は素人だけど、「過去の判例が一つあっても、なかなか申立通りにいかないものなのか」とか、変更事由に関する攻防だとか、とても勉強になった。

裁判に係る「審判書」や「心理状態鑑定書」といった非常に貴重な資料も掲載されているので、そういった意味でも注目すべき本である。

 

 

ここまで読んで、もし興味を持ってくださる方がいたら、ちょっと以下のお願いをさせてください。私は支援活動の類はまずしない薄情な人間なのだけど、今回は微力ながら発信します。

  • 矢川冬さんのブログ内のAmazonリンクから書籍を購入
  • 読後、Amazonでレビューを投稿(今月中)

この2点は、矢川冬さんが運営する少女のためのシェルター支援に繋がります。ご本人のブログに詳細があります。

すごく時間がかかってしまったのだけれど、私も先日レビューを書いたところです。レビューといい、この記事といい、私の圧倒的な力不足で今頃になってしまってごめんなさい。

 

最後になってしまったけれど、この本を知ったきっかけは、さきさん(id:sakyuuu)のブログです。さきさんがいなかったら、この本を読む機会はなかったかもしれない。ありがとうございます。

sakyuuu.hatenablog.com

さきさんも性虐待から生き延びてきたサバイバーで、矢川冬さんと共通するような勇気や強さを持ちつつも、また違う選択をし、違う人生を生きている。

収拾がつかなくなるので今回は触れられないけど、さきさんのブログにも学ぶことや感じることがすごく多い。

 

最後の最後に言いたいこと。私がさきさんや冬さんのブログを読むのは、2人が壮絶な体験をしたからじゃない。その選択や生き方を尊敬しているのと、泣いたり笑ったりしている文章から見えるその人柄を、勝手に好きになったからだ。