生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

つらい時のための、ささやかなお話『雪の山』


毎日がつらい。しんどくてたまらない。
頭はどこかぼんやりとし、時間や日々の境目があいまいになる。花も、鳥も、雲も目に映らない。大好きな音楽すら、ただのノイズに聞こえる。

 

そんな時の気持ちはまるで、雪山で、たったひとりぼっちで、遭難しているよう。
ふとそんな風に思う。

 

実際にどこにいるのかは関係ない。
今の季節がいつであろうと、暖かな部屋の中だろうと、お布団にぎゅっと包まっていようと、つらくてたまらない心の中では、ごうごうと吹雪が吹き荒れている。

雪山。Free-PhotosによるPixabayからの画像

ひょうのように硬い雪が、頬を打つ。強烈な風が、体を押し戻すように行く手を阻む。寒さがピリピリと身を切り裂き、全身に沁みていく。
やがて氷がじわじわと、体の内側からも広がっていく。すっかり心まで凍りつく。

 

もうダメだ、と思うかもしれない。
世界はこんなに寒くて冷たくて、わたしはここで凍えているのに、どうして誰も助けに来てくれないんだろう。眠っている間に誰かがそっと、あたたかな場所に運んでくれたらいいのに。

でもきっと、そんなことは起こらない。そんな風にも思っている。
もう、どうなっても構わないよ。このまま目を閉じて横になってしまいたい。たとえこのまま、目覚めないとしても──。

 

もしかしたら、そんな気持ちにもなるのかもしれない。

 

そうだね。たったひとりで、よくがんばってきたね。
そんな時は、できるだけ雪も風も当たらない場所まで這っていって、ゆっくり休もうか。たくさんたくさん休もうか。
暖かい洞窟で火に当たって、温かーいスープを飲む。安心してよく眠ったら、また食べて、あたたまる。その繰り返し。
凍りついた心と体を融かすには、思いのほか時間がかかる。だから、じっくりゆっくり時間をかける。
「早く出て来なさーい!」とどこかから呼ぶ声がしても、そんなのは全然聞かないことにする。心と体がぽかぽかして、自然とエネルギーが満ちてくるまで、何か月でも何年でも時間をかける。
自分のタイミング。それぞれのタイミング。

キャンプ。Free-PhotosによるPixabayからの画像

 

そしていつか、エネルギーが貯まったら、自分の足で立ち上がる。
残念だけど、洞窟の中まで助けが来てくれることは、あんまりないから。この世界では、あまりにもたくさんの人が遭難しているから。

だから、全身に着込めるだけの服を着て、あたたかな洞窟からそーっと顔を出す。
吹雪のタイミングを見ながら、一歩ずつゆっくりと、歩を進めていく。

 

空を見上げれば、運よく救助のヘリが見つかるかもしれない。でも気がついてもらうには、自分で一生懸命に旗を振らないといけない。
目の前に降りてきたロープを掴み、よじ登るのも自分自身だ。腕の力が足りなければ、上までは辿り着けない。

 

いくら空を見渡しても、必死で雪道を下っても、何にも、誰も、見えないこともある。
助けを求めて伸ばした手を、振り払われることもある。ひょっとしたら、信じた相手に身ぐるみ剥がされてしまうこともあるのかもしれない。
悲しくて絶望しそうになるけど、そんな目に遭うのは、自分に価値がないからじゃない。
たまたま遭難した場所が悪かったとか、みんな生き残るのに必死だとか、ほかの色々な理由なんだろう。

吹雪。Hans BraxmeierによるPixabayからの画像

過酷な旅だ。それなのに、どうして必死で山を下りようとするんだろう。
凍りつくのが怖いから。寒かった記憶、つらかった記憶だけで終わりたくないから。すべてをあきらめそうな心の片隅で、本当はあたたかな風景を求めているから。

だから、また雪や風の隙を見計らって、再び自分の足で踏み出していく。
時には何度でも洞窟で休む。 

 

孤独な道のり。そうかもしれない。
だけど、何もかもすべてをひとりで背負わなくてもいい。

 

実はみんな、トランシーバーを持っているから。それはふとした拍子につながって、お互いの声が聞こえるから。

 

「おーい、寒さが身に堪えるよ。そっちはどうだい?」

 

「やあ。なかなか大変だよ。でも、がんばっているよ」

 

「そうか。お互い一歩ずつ、歩いていこうね」

 

そうやって時々、心に小さな火を灯しながら、それぞれ自分のやり方で、ゆっくり山を下りて行く。

 

いつか山のふもとで、会えますように。

 


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