生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

生きづらさを軽くしたいな大作戦

私の人生はうまくいかないなぁ、と思っていました。辛いことが色々起こるし、社会のレールみたいなものから外れてしまって、上手く戻れない。絶望的な気持ちになったことも数知れず。生きるのってつらい。

でもまあ、何とか生きてきました。色々なヒントを頼りに15年以上悪戦苦闘するうちに、自分の中でなんとなく「こうやったら、ちょっとずつ生きるのがマシになるんじゃないだろうか」という枠組みが見えてきました。

名付けて、生きづらさを軽くしたいな大作戦

ネーミングは適当です。ただ「生きづらい」というふわっとした言葉を使うのは、私の“上手くいかなさ”には複数の要因が絡み合っているからです。例えば、うつ病、双極性障害、家庭環境、発達障害傾向ともいえる脳機能の凸凹、そして性格や私自身の意思。各要素は明確に線引きできることもあれば、渾然一体で分離するのが難しいこともある。それにそもそも、脳や精神の病気って一体何だろう?という疑問すら湧く時もある。そんな諸々やモヤモヤをひっくるめて、とりあえず「生きづらさ」としています。

そんな私の生きづらさを、少しずつ軽くするための試み。万人に当てはまるものではないと思いますが、図にしたのでよかったら見てみてください。

基本編:「しっかり充電期」と「ゆっくり進む期」

本作戦の最も基本的な流れは、以下の通りであります。

生きづらさを軽くしたいな大作戦-1

しっかり充電してエネルギーを蓄えた上で、改善のステップを歩んでいく。シンプルですが、難しい。落とし穴もたくさんあります。

私がしてきた失敗

私は特に「あまり根本的に休養できていないのに、焦って就職して体調を崩す」というミスを何度も繰り返してきました。充電ケーブルが上手く挿さっていなくて、バッテリー30%くらいなのに社会に突撃し、すぐに電池を使い切って強制終了していた感じです。さすがに色々反省して、現在は腰を据えて充電しています。

「充電期」と「進む期」の関係

こんな風に「しっかり充電期」から「ゆっくり進む期」へ上手く移行するのは難しいですが、見極めサインの1つは、何か「やりたい」と自然に思うことかなと考えます。後から振り返ってみると、私の失敗は「働かなくちゃ」という強迫観念に駆られて行動していた点にある気がします。

ちなみに、充電期と進む期の2つは、必ずしも図のように厳密に二分されるものではないとも思っています。充電期の間に多少の生活改善ができればベターだし、進む期の中でも休息は絶対に必要です。

ただ、現在の自分がどちらに軸足を置いているのかは、何となく意識しておくと良いように思えます。例えば、最近の私はあくまで充電期なので、自己分析や体力づくりなどの活動はあまりやり過ぎないようにしています。

気長に登る編:基本を繰り返していく

基本編の通りに進んで、すんなり一度で生きづらさが解消されれば良いのですが、私はそう上手くいきませんでした。自分の判断ミスによる悪化以外にも、どうしても不調の波がやってきてしまうからです。

進んだつもりだったのに調子が逆戻りしたような状態になるのは、毎回すごく落ち込みました。

「充電期」と「進む期」を重ねて良くなっていく

そんな中で主治医と話したりしているうちに、やがてこの図のようなイメージを持てるようになり、だいぶ救われました。

生きづらさを軽くしたいな大作戦-2

一見後退しているようでも、少しずつ状況を改善できている。そう思えるだけでも全然違います。そして一旦冷静になると、以前より自分自身を理解できていて、安定感も多少増したという事実を認識できました。

厳しい長期戦なので、時々気が遠くなるような気持ちになることもあります。でも、筋トレを1セットずつ繰り返すみたいに「充電期」と「進む期」を反復しながらやっていくしかない。

大まかに言えば、こんなところです。

このブログ=作戦ファイル

これは「私はこうして成功しました!」みたいな話ではなく、私はまだまだ道の途中にいます。そしてその過程で気付くことや感じることは山のようにあるので、それをこのブログに書き留めています(たまに関係ないものも混じります)。だからこのブログは、いわば私の作戦ファイルのようなものです。

これまで思いつくままに書いてきてしまったので、もう少しブログ内を整理して、はじめての方でも読みやすくできないかあれこれ思案中です。少々時間がかかりそうですが、よかったらまたどうぞ。