生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

シンガポールの雨

小学校時代、2年間だけシンガポールに住んでいた。父の海外赴任が理由で、ちょうどバブルが終わりに近づいている頃だった。

時代が時代だったせいか、現地には似たようなサラリーマン家庭が多く、日本人は大勢いた。私は日本人小学校に通っていたから、海外と言っても、実はそこまで日本の生活と大差ない。当時は小2、小3で生活圏が限られているし、食事も日本食が多かった。大人側では、きっと駐在員生活特有のあれこれがあったのだろうが、案外子どもは呑気なものである。

シンガポールは昔から都会だ。屋上のプールが有名なマリーナベイ・サンズ・ホテルなんかはまだなかったけど、当時から日本のデパートがいくつかあったし、ビルは軒並み高層だ。国土の小さな国だから、上へ上へとスペースを作るしかない。ついでに言うと、かつてのマーライオンも拍子抜けするくらい小さかった。

そして、街はキレイで清潔。その美観は、「ゴミのポイ捨て」はもちろん「ガムの持ち込み」まで禁止する幾多の厳格な法律に支えられるものだけど、別に人々は萎縮するでもなく、おおらかに暮らしていたような印象がある。

何せ、暑いのだ。赤道直下の常夏シティ。ここ数年の日本の猛暑が、年間通して続くようなイメージかもしれない。日差しが強くて湿度が高いから、服装がラフになる。子どもたちは皆こんがりと日焼けしていて、私も半袖短パンで色黒だった。

そんな熱帯雨林気候の国で、特に印象的だったのが、スコール。シンガポールの雨に「しとしと」という形容は似合わない。まさにバケツをひっくり返したような降り方をするから。その頃はまだ、ゲリラ雷雨なんて言葉は聞いたことがなかった。

スコールは、毎日のように降る。シンガポールには、正確には雨季と乾季が存在するけど、実際の生活ではそれほど意識されていなかったように思う。どちらの時季もスコールは降るし、一度降り出してしまうと、人間はその激しさに太刀打ちできない。傘を差してもずぶ濡れになるから、外を歩くのは困難だ。

こんな時は、ジタバタしても仕方がないのだ。街ゆく人は歩くのを一旦諦めて、のんびりと雨宿りする。街路樹に張り付いたトカゲたちも、葉っぱの陰でおとなしく収束を待っている。

煙る視界。滝のような雨音。思い思いの待ち時間。

雨は、長くても1〜2時間あれば止む。止んだ後は、また太陽があっけらかんと顔を出す。さっきまで大泣きしていた子どもが、ケロっとした顔で笑い出すかのように。それはさながら、幼い頃から泣き虫で気分屋の自分を見るようでもある。

そして、なんのかんのと言いながらも、私という人間がどこか根本的に能天気なのは、来る日も来る日も降ったスコールのおかげでもあるのかもしれない。だって、目の前で証明し続けてくれたのだから。止まない雨はない、と。

 

お題「雨の日のちょっといい話」

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