私は一生、母親になることはないだろう。もしこの先、結婚する機会があったとしても、子どもを持つつもりはない。相手も理解はしてくれている。
年齢のせいではない。あえて言うなら、精神的な成長が、生物学的な加齢のスピードに追いつかなかった。
たとえ精神的に未熟でも、産んだ子どもと共に成長していくという選択もあったのだと思う。多かれ少なかれ、親とはそういうものだと聞く。
だけど、自分を信じるだけの勇気を持てなかった。
だからこれは、仮定の話。子育ての苦労なんて無視した絵空事。
もし私が、子どもを育てるとしたら。
調子の波がある私でも、愛情はムラなく注ぎたい。
訳もなく不機嫌になったり、冷たくしたりしない。
日々、理不尽な出来事に振り回されると、子どもは混乱してしまう。
混乱が続くと不安を抱き、悪いことはすべて自分のせいだと思い込む。
だから、もし何もしてあげられない日があっても、愛する気持ちだけは子どもに伝えたい。
子どもを親友にしない。
父親の悪口を吹き込まない。過去の恋愛話もしない。
批判や愚痴を延々と聞かせて、心を汚染したくない。
「子どもを一人前に扱う」を履き違えてはいけない。子どもは知る必要がないこともある。
プライバシーを尊重する。
日記や手紙を盗み見されると、子どもは何も書かなくなる。
興味本位の覗き見だと、なおさらだ。
心に土足で踏み込むと、踏み込まれた方はどんどん心を閉ざす。
たくさん褒めて、見守りたい。
好きなことや得意なことに、たくさん「それ、いいね」と言いたい。
他人より優れてなくてもいいんだよ。そんなことはどうでもいいんだ。
楽しいならそれでいい。好きな気持ちや興味を、ずっと大事にできるように。
子どもの楽しみや幸せを邪魔しない。
筋の通らない理由で、行動や予定を妨害しない。
楽しみを奪われ続けると、やがて子どもは無気力になる。
「自分には幸せになる価値がない」と思うから、何も行動しなくなる。
自分ができていないことを、子どもに要求しない。
お互いが苦手なことは、一緒にがんばりたい。
兄弟で差もつけない。みんなが嫌な思いをするから。
私はきっと、立派な母親にはなれない。
だからその分、子どもをたくさん笑わせたい。
大好物の料理をいっぱい作って、時々はお菓子も作ろう。
きっと家の中は散らかってるだろうけど、家族みんなで片付けて、また一緒に散らかして、たくさん冗談を言って、ふざけて、たくさん家族で笑いたい。