生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

生きていてほしいと願う、私のエゴイズムについて

いのちについての話を、これまで何度か書きました。

「あなたに生きていてほしい」という気持ちを率直にぶつけましたが、その一方で、根本的には私が誰かのいのちについて、あれこれ口出しする権利はないとも理解しています。その人の人生は、その人のものです。

自ら命を絶たないでほしい、生きていてほしいと強く願ってしまうのは、私のエゴイズムなのかもしれません。

 

そんな私のエゴの背景にあるのは、こんな気持ちです。

 

弟の死について

私の弟は、18歳の若さで他界しました。うつ病でした。いじめなどには遭っていなかったと思います。高校受験〜入学の前後に本格的なうつになって、本当に辛かっただろうけど、よく頑張っていました。辛抱強い子でした。

一番よく思い出すのは、姉弟2人でニートしていた時のこと。お互いにだいぶ鬱が重い時期で、私は大学をサボり、弟も高校にうまく通えない状態でした。

私たちは少し年が離れていたのですが、何年も続く家庭内のゴタゴタに、2人ともとても疲れていました。同じ地獄を、それぞれ少し違ったポジションから見ていたような気がします。姉は知りたくないことまで知らされ、弟は蚊帳の外に置かれていた。

同じ戦争に、違う役割で巻き込まれていた戦友みたいなものかもしれません。
実際には毎日ひたすらニートしていただけなのですが、戦後の焼け野原を眺めるような気持ちで
「ウチって色々あり過ぎでしょ。やばいよね。昼ドラか韓国ドラマにできそう」
「なんかさ、生きてるだけで精一杯だよね」
という会話をした記憶があります。

 

まだ不慣れだった私の料理を、一緒に食べてくれたことも思い出します。弟は、私の作るタコライスが好きでした。

 

そんな風に何かを分かち合えている気がしていたのに、肝心なことは何も相談してもらえなかった姉の不甲斐なさを感じています。弟が一番苦しんでいた時に、私は自分のことしか考えていなかった。姉らしいことは一つもできなかった。

 

遺書には、鉛筆で弱々しく「社会で生きられないからです」と、書いてありました。
そんなの、私も同じだよ。と、思っています。

 

私が先にこの世からいなくなっていたら、弟は生きていたのだろうか、と考えることもあります。何の根拠もないのだけど、どちらか一人しか生きられなかったのかなと。
結局最後に図々しいのは、いつも姉ちゃんの方なんだよね。ごめん。

 

また、考えても詮無いことではありますが、弟が亡くなった日に戻れるなら、私はある程度の犠牲を払うのに、と思うこともあります。

そんなことを考えてしまうからなのか、タイムトラベルを題材にしたストーリーに弱いです。変なポイントで大泣きします。『バタフライ・エフェクト』あたりはともかく、ドラマ『素敵な選TAXI』(脚本:バカリズム)の初回で号泣した時は、自分でもビックリというか、ちょっと笑ってしまいました。れっきとしたコメディドラマです。

素敵な選TAXI DVD-BOX

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弟が亡くなってから10年以上経っていますが、いまだに法事では平静を装えません。
そして、私が毎冬重めのうつ状態に陥るのは、弟の命日の影響もあるような気がしています。 

 

母の死について

母は昔から、かなり不安定なパーソナリティの持ち主でした。40歳を過ぎてから双極性障害(Ⅰ型)だと判明しましたが、彼女の行動のすべてが病気に依るものだとは思っていません。そう考えるのは、私自身も含め、同じ疾患を持つ人に失礼だからです。

50歳を迎える前に、母は衝動的に命を絶ちました。それに対する私の気持ちは、弟への気持ちとはかなり異なっています。率直に言って、怒りの感情が強いです。

私は普段から臆病で、怒るべき場面でも他人に怒りをぶつけるのが苦手なのですが、母にだけは、薄れることはあっても決して無くならない、怒りや憤りを持ち続けています。

 

その感情を決定付けたのは、非常に無責任な母の逝き方でした。葬儀や事務処理も大変でしたが、それはまあ構いません。

言いたいことは山ほどあるけれど、一番許せないのは、育てるはずの幼い子どもを放り出して死んだことです。すでに成人していた私のことでも、先に他界していた弟のことでもありません。

母には、もう一人子どもがいました。父との離婚後にかなり高齢で出産した、3人目の子です。経緯をよく知っていますが、産前も産後も終始一貫して無責任だったので、産後うつの類とは思えずにいます。

産んだ以上は、その子を立派に育てるとまでとはいかなくても、精一杯やってみるのが大人なんじゃないのかな?

現在その子は、私の祖母が養育しています。

 

母は弟の後を追ったわけでもなければ、遺される人を思いやるような形跡も何一つ残さなかった。長い間ただただ周りを責め続け、最期まで自分を変えようとしなかった彼女の人間的な弱さみたいなものが、私は本当に嫌いです。

もちろん彼女には良いところもあった。育ててもらった恩も感じています。

でも母さん、結局あなたは何一つ学習しなかったよね。その愚かさと弱さに私は非常に落胆したし、自分の中にもその要素があるのではないかという恐怖と、ずっとずっと闘っています。

 

実は、母の命日を明確に思い出せません。5日か6日、みたいな何となくの認識はあるのですが、どうもハッキリしない。さすがに祖母にも確認しづらくて、何年も曖昧なままにしています。

 

まとめることなんて、できませんが

二人は自殺であり、病死だと、私は思っています。

「先に旅立った2人の分も、私が精一杯生きたいと思います」なんて締めくくるのが美しいのかもしれませんが、私はそんなにシンプルで綺麗な感情には到達できないようです。いまだに深いうつ状態に苛まれる日もあります。

でも、今日も生きています。ゆっくりぼちぼち、生きる気持ちを手繰り寄せています。

そして私はここで、ただ自分勝手に願い続けています。自殺や、病死や、遺される痛みを抱える人が、1人でも減ることを。

生き続ける選択をする人の重荷や苦痛が、ほんのわずかでも軽くなることを。

 

 

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