連休が明けてまた週末になりましたが、「学校行きたくない」モードが続いている人もいるかもしれませんね。5月ってそんな季節なので、うつで大学を中退した私の昔話を書いてみます。
大学を辞めることの是非について語るつもりはありません。最初から辞めるつもりで入学する人はいないでしょうから、基本的に中退は苦渋の決断だと思います。私もそうでした。理由や背景もそれぞれだと思います。経済的理由、病気など、大半はネガティブなやむを得ない理由で、ポジティブなのは、転学や他にやりたいことがあって辞めるパターンくらいでしょうか。
だから本当に大事なのは、「その後にどう生きるか」だと思うけど、中退は非常に大きな決断なのも確かなので、自分の体験や思うことを書き残しておきます。もう20年近く前なので、今の学生さんとは色々事情が違うかもしれません。
長くなりそうなので、記事を分割します。今回はただの昔話編(その1)。辞めた後の影響や感情については、また別に書きます。
ほぼ入学しただけ
大学には一応4年間在籍していたのですが、トータルで約半分の期間を休学しました。私大の英語系の学科です。取得できたのは、なんと12単位。わはは。しかも一般教養科目ばかりだし、我ながらヒドいと思います。でも単位数はもはや私の鉄板ネタだし、30代も後半になると、普段は中退のことなんてすっかり忘れていますので、あんまり悲しい話として読まないでもらえたら幸いです。
大学(学部)に馴染めない感はあった
妙な話ですが、以下のエピソードは「後から思えば」という感じで、リアルタイムではそこまで深刻に捉えていませんでした。その程度の出来事だという考え方もできるのですが、大学生活の数少ない記憶で、今はそれなりに重要に思えます。
意識高そうに見えたオリエンテーションキャンプ
最初の洗礼が、新入生向けの「オリエンテーションキャンプ」なるイベントでした。どこかの外部施設に泊まって、授業や学校生活に関する説明を聞いたり、履修科目を決めたりする行事です。
周囲が意識高く見えて怯んでしまう要素はいくつかあった気がするのですが、特に印象的だったのが、履修登録。みんな深夜までかけて、競うようにして時間割を組んでいたのを覚えています。事務の締切はまだ先なのに、何で寝ないでやるの…眠い…疲れた…と思いながらも、必死で周りに合わせようとしていた自分がいました。
トイレ内の英会話にビビる事件
正式に新学期が始まり、何気なく入った校内の女子トイレで、聞こえてくる流暢な英会話。パッと見た感じ日本人の女子たちが、完全にネイティブの発音でキャッキャしている。これにも恐れをなしました。たぶん帰国子女の集団だったと思うのですが、「こっちはロクに喋れないのに」と落ち込みました。
「レポート英語で書いてもいいですか?」事件
そして、何の講義か忘れましたが、日本人教授による日本語ベースの授業で、「レポートは英語で書きたいんですけど、いいですか?」と質問した男子がいて、それはそれは戦慄しました。「お、いいですね。それじゃあ全員英文で提出!」とか教授が言い出したらどうしてくれる。幸いそんな事態にはならなかったのですが、もうこの学部イヤ…と完全に腰が引けた出来事ではありました。
その時は気付きませんでしたが、もしかしたら、その男の子も帰国子女だったかもしれません。帰国子女にも色々なパターンがあって、完全なバイリンガルもいれば、どちらかの言語に偏りがあって苦労している人もいます。その彼も、英語の方が楽だから提案しただけかもしれないし、そもそも気にしなければいいだけの話なのですが、当時そんな風には全く思えませんでした。
サークルに逃げる不良学生から、うつ病生活へ
そんなあれこれを総括すると、「帰国子女や優秀そうな同級生へのコンプレックスとひがみ」でしかありません。しかも、結果すら出ていない段階で勝手に劣等感を抱き、少しずつ授業への足が遠のいて、楽しいサークル活動やバイトに逃避します。必修科目は20数人の少人数制、8割以上の出席が必須の学科で、これは致命的でした。単位取れるわけがない。
そんな生活と並行して、私の両親の不仲が本格的になっていきます。近づく家庭崩壊。久世家の終わりの始まり。なんか別居とか不貞とか色々あった気はするのですが、時系列が分からなくなったし、大学の話には直接関係ないので省略します。ただ家に帰りたくなくて、ずっとどこかをフラフラ彷徨っていた記憶が残っています。
そのうち少しずつ、うつの症状が出てきて、好きなことも一切出来なくなりました。2年生になると、サークルにも顔を出さなくなります。通院と治療の日々が始まり、同時に、母が双極性障害であることも発覚します。
私のうつ病が発症した大きなトリガーは、複雑な家族問題のストレスだという話になっています。そのせいか、治療の焦点が学校生活に当たることはあまりありませんでした。医師とも心理士(カウンセラー)とも、学校の居心地の悪さについて深く話した記憶がありません。
でも、今振り返ると「大学生活のコンプレックスと向き合う」ことは、自分にとってかなり重要な課題だったのではないかと思うのです。
中退という選択についての私の正直な気持ちは、「あの時はもう限界だったから仕方なかったけど、全く後悔してないと言えば嘘になる」です。その“後悔”の部分は、この自分の課題を当時しっかり認識できていなかった点にあるような気がしています。
続きはまた。まとまるかしら。
【お知らせ】
今回の話には全く関係ありませんが、いつも拝読しているブログでお題の企画があったので一時的に掲載します。
「雨の日のちょっといい話」という素敵で参加しやすいテーマなので、はてなブログの皆さまはぜひ!私も軽く何か書いて、15日に公開できたらいいな。
こちらの「ふと思ったんだけど」も、すごく好きなブログの1つなんです。思考実験と哲学のイメージを勝手に抱いていて、考えるための刺激を頂くことがとても多いです。
最近、面白い企画をされる方が多いので、お知らせが多くてすみませんー。