生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

くだらないものは世界を救う。かもしれない。

くだらないもの、バカバカしいものが結構好きです。

ちょうどハロウィンなので載せておきますが、ここ数日、疲れた時はこんなものばかり見ていました。*1

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もちろんお笑いも好きです。ネットでよく「才能の無駄遣い」と言われるような、謎の工作や創作物を見るのも好きです。

何も見たくないほど調子が悪い時や、妙に張り切って予定を詰め込んでいる時を除けば、ちょくちょくこういったネタ的なものを見てしまいます。

 

効率的に生きる人から見れば、時間の無駄でしょうね。無益な余暇の過ごし方です。「そんな暇があるなら、勉強や家事や運動をしなさい」という声が、今にも聞こえてきそうです。

受け手側の私にすら「無駄」と思われるのだから、ネタを提供する方はもっと時間の無駄です。仕事としてやっていれば別かもしれませんが、それにしても生産性が高いとは言い難いような。

 

だけど、私はこれまで何度も、“無駄でくだらないもの”に救われてきました。

心配事が頭をぐるぐるしている時。理由もなく気分が沈む時。何気なく目にしたくだらないものが、ふっと気を緩めてくれることがあります。

もちろん、目の前の問題が直接的に解決するわけではないですが、それでも気持ちが救われることもあるものです。

 

私の好きな『ハリー・ポッター』シリーズの中に、“リディクラス”という呪文が登場するシーンがあります。

「まね妖怪」という、相手が最も怖がる物の姿を真似る妖怪がいるのですが、これの撃退に使われるのが、“リディクラス”です。この呪文をかけると、恐ろしい姿のまね妖怪が、かなり笑える姿に変身してしまいます。

原書では、"Riddikulus"と書かれるこの呪文。「ばかばかしい」といった意味の、"ridiculous"が語源と推測できます。

 

不安や恐怖には、笑えるもので対抗する。

作者の想いが込められている気がする呪文です。

 

私がくだらないものを好きなのも、“リディクラス”と同じなのかもしれません。

何の役にも立たないようなものに、結構助けられているのですね。「世界を救う」は大袈裟だとしても、私は救われています。

くだらないものクリエイターの皆様には、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

ただし、私の好きなくだらないものには、以下の条件があります。

誰かを傷つけないもの。皮肉が効いてるのは好きですが、悪意に満ちたものは、見ていてしんどいです。

作り手の愛 > 打算。多少の打算は嫌いじゃありませんが、作り手の無駄な愛が上回っていてほしい。

 

最後に、最近特にお気に入りの“くだらないもの”をご紹介して終わります。

投稿された画像をもとに、「実在しない本」の装丁を作る【ない本(@nonebook)】さんです*2。Twitterをやる方はご存知かもしれませんね。

デザインセンスもさることながら、裏表紙のあらすじが個人的にすごくツボです。読みたい。“くだらないもの”と呼ぶのは失礼だったかもしれません。すごい発想力と才能を感じます。

*1:書き終えてから気がついた。ちょっとテーマずれてるからズルいけど、載せちゃおう。今週のお題「ハロウィン」

*2:只者ではなさそうと思って調べてみたら、以前からサブカル系ネット界隈で色々ご活動されている方のようでした。やっぱり。