自分のことも満足にできないのに、他人様を助けるなんて出来ない。
だからこそ、自分のことをしっかり出来るように、少しずつ頑張る。
ある時から、これは私の生きる指針の一つになりました。
元々は、長い間お世話になっていた心理士の言葉です。優しい先生だったので、実際はもっとソフトな言い方でしたが、カウンセリングの時にこんな意味合いのことを言ってもらいました。
当時の私は、離れて暮らす母親が起こす様々なトラブルに振り回されていました。
電話で何時間も愚痴を聞き、決して聞き入れられることのないアドバイスをし、腹を立て、心を痛め、自分のことを後回しにしては、そのあと必ず具合が悪くなっていました。
今以上に弱くて不安定だったにもかかわらず、周囲のことまで背負い込み、勝手に潰れていたわけです。
そんな私を見るに見かねて、先生がくれたアドバイスでした。
「自分を優先していい」と誰かに言ってもらえて、目から鱗が落ちたような気持ちがしました。
それまでずっと、自分を優先することは“悪”で、“自分勝手”なのだと思っていました。
そして、自分を犠牲にして他人を助けようとすることが、“正しい”と思っていました。
そもそも誰かを助けられる力もないのに、ずいぶん傲慢で押し付けがましい考え方だったと思います。
目から鱗体験をしてからは、「自分を犠牲にしない練習」を少しずつ重ねていきました。
だいぶ上達しましたが、今でもまだ自分の弱点に触れるような出来事に遭うと、方針がグラついてしまうことがあります。自分と重なるような立場の人が、危険に晒されたり、理不尽な目に遭ったりしていると、冷静さを失うことが多いです。
そんな時は、冷静に判断できる人に助けてもらったりしつつ、なるべく自分を優先するようにしています。
そんな「自分優先主義」には、副産物がありました。あまり他人に見返りを期待しなくなったことです。
私は元々、相手に「こんなにやってあげてるのに」と思いがちで、そのせいで余計なストレスを溜める傾向がありました。
「せっかく〜してあげたのに」と自分が言われると嫌なのに、おかしなものです。
今は、誰かに小さな手助けをする時、「自分がやりたくてやっている」と思えるかどうか、考えるようにしています。
「やりたくてやっている」なら、手助けの結果が上手くいかなくても、相手から思うような反応を得られなくても、「自分がやりたかっただけだから、まあいいか」と思える場合が多いです。
そして、もし「自分がやりたくてやっている」と思える範囲を超えそうなら、それは自分の手に余ることなのだと判断します。
気が咎めますが、私には出来ないことを無理にやろうとしても、かえって相手の迷惑になると考えて、納得するようにしています。
私にはややお節介な習性があるので、結果的にはつい口や手を出してしまう場合も多いのですが、自分の気が済むように、自分のためだと思ってやっている場合がほとんどなので、昔より色々と気が楽です。
このブログでも時折、「誰かの参考になれば…」という文を書きます。そういう気持ちを持って書いているのは事実ですが、根本的には全て自分のためです。
誰かのために書いているようで、本当は誰よりも自分のために書いていて、それを皆さんが読んでくださることで、私が助けられています。
だから、大切な時間を割いて読んでくださる一人ひとりの方に、心から感謝しています。本当にありがとうございます。
残念ながら私は、まだ自分のことを満足にできていません。
いつか誰かの役に立てるように、自分のことをしっかりと、少しずつ頑張ります。
このブログは、その記録です。