久々の外食中、ふと隣の女子会のテーブルに目をやると、お皿の上には分厚いピザ。トマトソースにチーズがたっぷり乗った、一切れがかなり巨大なマルゲリータ。
あんなおいしそうなのあったんだー、と卑しさのこもった眼差しでチラ見していたら、
「大きいかなって思ったけど、さっぱりしてるから意外と食べれちゃうよね ♪」
「うんうん ♪ さっぱりだから、一切れずつ全然食べ切れるー」
と、のたまう女子たち。
いやたぶん、“さっぱり”ではなくない?!ピザだし!チーズすごいし!
思わず、心の中でツッコミを入れてしまいました。
見た目に反して、本当にさっぱり味のピザだった可能性もありますが、何かこう、大きなピザをペロリと平らげることへの言い訳的な空気を感じました。
女性って、食べる時に“謎の言い訳”をすることがありますよね。私も得意です。
「野菜多めのランチだったから、ケーキ食べてもセーフ」とか、「ヨーグルト味だからヘルシー」とか。
あ、女性だけじゃなかった。むしろ謎の言い訳のカリスマは、男性だったことを思い出しました。
カロリーゼロ理論の提唱者、サンドウィッチマンの伊達みきお先生。
「ドーナツは真ん中が空洞だし、形が0だから、カロリーゼロ」などの新説を唱え、あらゆるお菓子や油物のカロリーを無効化するファンタジスタです。
屁理屈と言ってしまえばそれまでの、筋が通らないあの言い訳。私は大好きです。
単純に面白いからだけれど、よく考えてみると、それだけでもない。
伊達ちゃんにしても、ピザさっぱり女子にしても、謎の言い訳の根底には「こんな自分も認めよう」みたいな気持ちがある気がします。
「罪悪感を感じながら食べるより、肯定しておいしく食べよう。そして、そんな自分をOKとしよう」という気持ち。
私自身もそうです。食べることに限らず、謎の言い訳をする時は「正論には反するかもしれないけど、今日のところはこれでOKとしよう」みたいな場合が多い。
自分を受け入れるという点において、「〜すべき」「こうあるべき」などの「べき思考」とは対照的な考え方に思えます。
“言い訳”と自覚しているあたりが、純度100%ポジティブな自己肯定ではない感じがするけれど、個人的にはそれくらいの方が、バランスを取りやすくて心地良いです。
心理学における「自己受容」の考え方に近いのかもしれません。
言い訳というネガティブに捉えられがちなものも、上手く使えば、自分を楽にする道具にできそうです。
特に「済んでしまったこと」に対しては、謎の言い訳スキルが結構役に立つと思っています。