生きるを手繰る

生きづらい私が、生きる気持ちをゆるりと手繰り寄せるために

消えたい、死にたい気持ちを整理してみる

消えてなくなりたい、死んでしまいたい、という気持ちについて書いた前の記事は、だいぶ私の感情が先走っていました。

死にたい、消えたい人へ。ちょっとだけ寄っていってほしい。 - 生きるを手繰る

今回はもう少し冷静に整理してみます。

結局、死にたい・消えたいとは…

  • 死にたい = 死にたいくらい辛い
  • 消えたい = 消えたいくらい辛い、虚しい

なのかなと思っています。「つらい」って口に出せない。つらさを受け止めてもらう場所がない。自分の中でうまく解消できない。こんな風につらさが溜まりに溜まって「死にたい・消えたい」になるのではないかと考えます。

死にたいと消えたいの違いは何となく認識できるのですが、うまく一般化して表現するのは難しいです。個人的な体験としては、こんな感じです。

死にたい:全身全霊で「つらい!助けて!」と周囲に訴えたい感じ。
※若い頃に感じていたけど、今はほぼない。

消えたい:死にたいよりも消極的でひっそり。周囲に迷惑をかけたくない気持ちが強い。
※今もすこぶる調子が悪い時には発生するが、自分の意思ではなくうつ症状として切り離して考えられる。

死にたい・消えたいを細分化してみる

そして、死にたい、消えたいの根本には何があるのか。自分なりに考えてみたら、こんな感じになりました。

死にたい・消えたいを構成するもの
  1. 発作的なつらさ
  2. 慢性的なつらさ
  3. 漠然とした生と死への疑問。死生観のゆらぎ

1〜3の割合は、個人や状況によってそれぞれ違うと思います。

私の母と弟はそれぞれ別々に自死していますが、母は1(+2)、弟は2(+3)みたいな感じだったのかなと推測しています。(経緯などは下記に書いています。)

生きていてほしいと願う、私のエゴイズムについて - 生きるを手繰る 

私自身も昔は1の割合が大きかったのですが、今は減りました。2と3も普段は希死念慮の形では意識しません。うつ状態が酷い時だけ2(+1+3)が「消えたい」として出てきますが、実行の可能性はかなり低いというか、ほとんどないです。油断はしないようにしていますが。

この1〜3を、もう少し詳しく見ていきます。

1. 発作的なつらさ

「死にたい」と口にしたり、衝動的に企図する時は、この発作的な辛さが大きいのかなと思います。瞬間的に辛さの限界を超えてしまって「死にたい」に至るというか。

私の中では最も“病気の症状っぽいもの”として捉えていて、これが少しでも出た時は、インフルによる高熱、もしくは持病の発作のようなものとみなして、一旦とにかく休みます。

再掲ですが、こちらで提案している通りです。

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要は、今は休んでやり過ごしてほしいということ。処方薬がある人は、用法用量を守って飲む。何も考えない方がいいし、休むことへの罪悪感を感じる必要もないです。深く考えたり自分を責めたりすると、全然休んだことにならないので要注意です。

どこかに吐き出すことで楽になれそうなら、それも有効だと思います。

辛い気持ちを吐き出したい時の相談窓口まとめ - 生きるを手繰る

信頼できて、受け止めてくれる人がいれば、それは大きな助けになると思います。ただあえてシビアに言えば、世の中には「死にたい」という気持ちをちゃんと受け止められる人ばかりではありません。環境や相性などもあるので、身近な人や専門家に相談しても100%上手くいくとは限らないのが難しいです。

だから絶望して、一人で抱えこめという意味ではありません。頼れる場所にはぜひ頼ってみてください。言いたいのは、適切に受け止めてもらえなかったり拒絶されたりしても、それはあなたのせいではないので、落ち込まないでいいということです。かといって相手が“悪い”わけでもない。みんなそれほど強くないのです。それだけです。

tough little flower

2. 慢性的なつらさ

これは私の中で「生きづらい」とほぼ同義です。

病気なのであれば、まずは治療をしっかりする。そして「死にたい」や「消えたい」の隙を見て、自分のタイミングで物事を良くしていく。底力をつける。それが自分でできる対処なのかなと思います。

こちらでもう少し詳しく説明しています。

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実際は、色々努力してるのに上手くいかないと感じることも多いです。でも焦らずやるしかないです。時々やり方の見直しも必要かもしれません。しんどいし投げ出したくなりますが、休憩しつつ気長にいきましょう。

3. 漠然とした生と死への疑問。 死生観のゆらぎ

どう表現して良いかわかりませんが、生と死に関する哲学的な問いのようなものです。

生きるとは何か。生と死とは。人はなぜ生きるのか?なぜ自ら死を選んではいけないのか?

これまで幾度となく考えてはみましたが、わかりません。

そんな古代の哲学者たちですら悩んだようなこと、私にはわかるわけがありません。思考停止するようですが、普遍的な万能の答えなんてないというのが私の結論です。

それっぽい答えは、探せば世の中に溢れています。でも、それであんまり納得できないから悩むわけですよね。

人それぞれ答えは違うから、生きて探したらいいんじゃないの?というのが私の意見です。

今日はとりあえず生きて、明日もとりあえず生きて、それを積み重ねながら探していけばいいんじゃないでしょうか。おいしいものを食べたり、美しい景色を見たり、本を読んだり、泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしながら、答えを探したらいいんじゃないでしょうか。

たとえ最期まで答えは見つからなかったとしても、それってそんなに悪くない人生じゃありませんか?

 

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